【Fami Mail】 特別寄稿連載 帰国子女子育て記



帰国子女となった子供と共に歩んだ15年

目次                                          海外赴任アドバイザー
        
 黒川 美佐子 
(英国4年半・中国1年半在住経験)

著者HP>海外帰国子女受験体験記
第5回 ガラスのように脆い海外子女の日本語

 次男、只今、武者修行中!
久しぶりに会ったピアノの先生とサイクリング
 この夏、中3の次男は、蒸し暑い日本を脱出して英国に滞在中です。期間は、約1カ月。英国・米国などから選択できる学校の語学研修旅行に参加して異文化に触れることも考えましたが、敢えて、一人旅を敢行。

 今現在、約2週間が過ぎたところです。

 ホームステイ先は、主に、英語の家庭教師をしてくれていた先生の家です。彼女は、次男が、小学校に上がる頃から知っています。気持ちを乗せておだてないとちっとも勉強する気にならない次男の性格をよくわかってくれていますので、ユーモアを交えながら、団欒の合間には、英文法を中心にサポートしてくれています。

 英国でパブリックスクール入学のための受験を経験した長男の場合には、日本の大学受験に向けても、あまり英文法の知識は必要ありませんでしたが、次男の場合には、ほとんど苦労なく自然と身につけてしまった幼い子供が話す英語だったので、生活するには問題なくても、大学受験に向けての学問としての英語は、やはり、外国人が英語を学ぶように、しっかりとした骨組みの知識を頭に入れる必要があるようです。

 次男は、昼間は語学学校に通いながら、その語学学校が企画する小旅行ーケンブリッジ大学見学や、ロンドンの博物館や美術館の見学ーに行ったり、英国で知人に借りていただいたチェロを弾いたり、昔の友人と会ってテーマパークに行ったりして、充実した日々を過ごしているようです。

 ロンドンでのテロなど、出発前には不安材料がたくさんありましたが、思い切って、一人で武者修行させてみてよかった、と、思っています。

 でも、長男が14〜15歳の頃には、こういう計画を立てる気には、全くなりませんでした。この頃の長男に対しては、英語を磨くよりも、日本語をなんとかしなければ!という親としての、焦りばかりが先行していました。


 聞き流してしまった忠告

 「単一民族の言語である日本語は、多民族の言語である英語より、はるかに難しいのよ。」


 赴任した当時、この忠告に対して、聞く耳を持つことができなかったのは、子供達が日本語を忘れていくことなんて、考えも及ばなかったからです。英国で耳にする日本のお子様達の、勢いのない日本語に較べて、渡英したての我が子達の日本語は、新鮮で輝いていました。

 「こんなにいきいきとした日本語を使いこなせている子供達が日本語を忘れるはずがない!それより、英語をしっかり身につけなきゃ!」

 と、子供達の英語が全くできない状態で渡英したばかりの頃には、その忠告の意味が理解できず、子供達の英語力の伸長のことしか頭にありませんでした。

 日本語が身の回りに全くない環境で、日本語を維持する努力をしないと、どうなるか・・

 そんな当たり前のことに、全く、考えが及ばなかったのですから、どうしようもない母親でした。


 日本語は、親と話をする時だけ

 渡英して半年もしないうちに、兄弟での会話も英語になってしまいました。学校でも英語、家でも英語。英語にばかり重点を置いていたのですから、当然のように、英語力は順調に伸びていきました。

 でも、日本語は・・・

 親と話す時に、日本語を使うだけです。日本のビデオを見たり、漫画や本を読む時の一日のうちの1〜2時間だけ、英語から日本語のスイッチに切り変わるだけです。

 日本では、教育環境が整った地域の小学校に通っていたので、赴任当時には、通信教育では、少し簡単すぎるというイメージを持っていました。それに、補習校に通うと、貴重な土曜日は潰れるし・・と、気にはなりながらも、少しでも日本語に身を置く時間を持つという選択をしませんでした。日本での隣人が引っ越して来るまで、その状態が続きました。


  新鮮な日本語
ピアノの先生宅でカルテット
 子供達の幼馴染が渡英してきたのは、英国生活が始まって2年経った頃です。その子達の話す日本語は、それこそ、輝くようなピチピチとした日本語でした。

 一本釣りした大海を泳ぐ新鮮なアジやイサキと、スーパーの店頭に並んだアジやイサキでは、目の透明感など見た目も食べた感触も全然違います。

 そのくらい、我が家の子供達と幼馴染の日本語は、つい2年前まで同じ日本語を話していたとは到底思えない、全く違う日本語でした。

 私がそのように感じた、という事は、その時すでに我が子達の日本語には、勢いがなくなってしまっていた、という事です。

 その頃の子供達の日本語は、文法こそ、なんとか日本語の語順でしたが、単語は、完全に英語に置き換わっていました。また、発音も正確にできなくなってしまいました。約1週間のボーイスカウトのキャンプを終えて戻ってきた長男の日本語が、なんと、さしすせその音が、シャ、シェイ、シュ、シェ、ショ、となってしまったのです。 

 この発音を聞いた時、このままではまずい、と反省し、やっと補習校に通わせる決心がつきました。


 補習校から現地校生専用塾へ

 日本語の伸長には眼もくれず、英語に専念していたこの2年間のブランクを取り戻すには、どうすればよいか?と、いろいろ考えました。

 補習校の漢字書き取りの宿題ですら困難な状況だった長男の日本語力と、音楽と現地校に一日のほとんどの時間を割いていた長男の生活リズムを考えると、週1回の補習校の授業の進度では、到底、追いつくものではありませんでした。この頃はまだ、中学受験など雲の上の話のように遠い世界で、考えてもいなかったのですが、限られた時間を有効利用するために、現地校生専門の塾に通うことにしました。

 車で40分の距離のため、送り迎えが大変だったので、その塾に通う4家族で、送り迎えのシャアをしていました。その車の中での日本語での他愛無い会話や小テストの問題の出し合い、熱意ある先生による塾での数時間に及ぶ密度の濃い授業のおかげで、長男の日本語は、みるみる元気を取り戻していったように思います。

 それでも、2年間の日本語の伸長を怠ったブランクを経て、補習校1年間と現地校生専門塾に1年間通ったくらいでは、日本の中学受験に必要な国語力がつくはずもなく、受験できる中学校は、数校に限られてしまいました。長男にあるものは英国の現地校での実績と、英語力だけでした。幸いにも、英語力と現地校での実績は人並みにあったので、合格をいただけたのだと思います。


 いつ追いつくか?

 一クラス分、世界中からの帰国子女が集まった私立中学校に入学した長男でしたが、いきなり、社会科の授業は日本史でした。どんなに先生が面白く深い授業をしてくださっても、日本語力が足りない息子のような生徒には、全く、先生の思いは通じません。この時の長男の衝撃は、中学1年一学期の中間テストの解答によく現れていました。とにかく、隙間を埋めようと、自分の知っている日本語をひらがなとカタカナで埋めていました。日本史の試験問題の解答なのに、解答欄には、「ベートーベン、モーツァルト」という人名を書いてみたり・・・

 国語力がないために、学校での英語と音楽と体育以外の成績は散々でした。日本語での勉強の仕方や楽しみ方がわからない、と、悶々としていたように見えた長男の中学時代。部活にはもちろん一生懸命取り組んでいましたが、それでも有り余るエネルギーをどのように処理してよいかわからずバンド活動に打ち込んだ時期、ゲームセンターやカラオケに嵌っていた時期など、長男の中学時代は、心配ばかりしていました。

 ふんだんに日本語のシャワーを受け、日本を自分の国と思えるようになった彼の心が、やっと勉強に向き始めたのは、高1の頃だったと思います。

 今は、高3です。帰国して5年が過ぎました。おそらくは、まだまだ日本語力や日本人としての常識は足りませんが、学力は、大学入試でなんとか日本で生まれ育った生徒達に追いつくレベルに到達したのではないか?と、思っています。

 帰国子女の場合、次男のように、一般入試も視野に入れた中学受験にむけてターゲットを置くことも可能ですが、外国からの直接受験の場合には、中学受験に向けては無理をせずに、面接で現地校での経験をアピールして、帰国子女として受け入れ校に入れていただき、国語力がついた段階で、本人の意思で大学受験を目指す・・・など、ほんの少しだけ遠くに視点を持っていけば、そんなに切羽詰った状況に陥ることなく、帰国子女には、意外にも、様々な可能性を秘めた選択肢があることに気がつく、と思います。

 長男と同じ帰国子女だった中学での同級生達40人も、今では堂々と大学受験ができるほどに成長しました。日本史のテストのクラスの平均点が、20点くらいだった日々がなつかしく思い出されます。

  21世紀への夢と希望、これは、中2の時に、長男が書いた英語の作文です。もしよろしければ、ご覧ください。


 
地道な努力

 海外に暮らす子供達の日本語はガラスのように脆く、大切に取り扱わないと、あっという間に粉々に壊れてしまう・・・それが、学齢期に主に英語の環境で子育てをした私の正直な感想です。

 置いてきぼりにしてしまった日本語力を取り戻すには、英語を覚えるよりも遥かに長い時間と労力と根気が必要です。我が家の子供達のように、その時期に合わせて、生活スタイルを変えていくのも一つの方法かもしれませんが、やはり、たゆまぬ努力と継続をしている子供には、かないません。

 日本人として生まれてきたのに、日本語と日本人の感覚を理解できないために、帰国しても周囲の人とコミュニケーションが取れない日本人になってしまう、ということだけは、避けて欲しいと思います。

 近くに日本人コミュニティーもない、補習校もない、車も運転できない、現地校が忙しい、アクティビティーが大変、幼子がいる、など難しい状況に置かれている家庭も多いかと思います。

 でも、できるかぎりの努力をして子供の日本語力を維持し、現地の言葉もそれなりに伸ばしてあげる・・これが、学齢期のお子様を持つ駐在家庭の基本なんだろうなあ〜、と思います。



                                      2005年 8月17日

                                               つづく


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