スピーチセラピスト (カリフォルニア在住13年)
鑓溝(やりみぞ)純子

第8回 最終回

 

 

 今年のはじめに連載のお話をいただいたとき、まったく不安がなかったと言えば、ウソになります。特殊教育やスピーチセラピーなんてマイナーな話でいいのか、どんな話をしようか、8回も続くか・・・というふうな心配が先走っていました。しかし、いざ書き始めてみると、あれもこれも・・・とイモヅル式に伝えたいこと、知ってほしいことが出てきて、内容を絞り込むのに思わぬ苦労をしました。

 そして最終回を迎えた今回、改めて今まで掲載してきた自分の文章を読んでみました。すると、ページを開くたびに、またしても、あれもこれも・・・と書き足したいことが沸いてきました。ですので、以下、書きそびれたことや、その後の変化など、補足的な内容を、章ごとに書いてみようと思います。今回は、本体についてくる「おまけ」とでも思って、読んでみてください。もう覚えていないような古い話もあるかもしれませんが、ご了承ください。まだ読んだことのない方は、是非これを機に過去の連載を・・・(笑)


 (第2回) 新用語 “RTI”
 

 第2回に書いたとおり、アメリカの障害児教育における様々な権利はIDEAという法律で守られています。そして、2004年にこの法律に新たな改定が加えられた今、教育現場が少しずつ変わりつつあります。今回の改訂の1つのポイントは、「学習障害」か否かを診断するためのRTI (Response to Intervention)という、介入(intervention)システムの導入です。第3回に説明したように、これまで「学習障害」は、心理士による検査に基づき、診断が下されてきました。しかし、これからは、学習障害と判断を下す前に、授業で遅れを取っている子供に対し、Research-based(研究で成果が認められた)の介入方法で、集中レッスンを行うことが義務付けられました。この介入の末、成果が見られない生徒が、学習障害と見なされる・・・というのが、今のところの私の理解です。なんともいい加減な解説で、申し訳ありません。なにせ、私もまだ勉強中ですので・・・。詳しくは下記のサイトへ。
http://www.asha.org/about/legislation-advocacy/federal/idea/#idea

 

(第3回)幼児セラピー
 

 第3回では、5歳の幼稚園児以上の学齢期のお子さんがSpecial Educationを受けるまでの段取りを説明しました。しかし、実際にはアメリカでは、3歳を迎えたその日から、地元の学校区でSpecial Educationのサービスを無償で受けることができます(言うまでもなく、ニーズがあると認められた場合のみですが)。ですので、もしお子さんの言葉の発達が遅く、専門家による検査を希望する場合は、地域の学校区(Unified School District)に問い合わせてみることをオススメします。また、3歳未満のお子さんへは、発達障害者を支援するRegional Centerで、さまざまな早期療育(Early Intervention)が提供されています。最寄りのRegional Centerの場所や、その他の不明な点などは、お子さんのかかっている小児科の先生に、積極的に相談するといいでしょう。(例:カリフォルニア州ベイエリアRegional Center of the East Bay (RCEB) →www.rceb.org

 

 (第4回)「発音する力」から「読む力」へ
 

 第2回では、「Speech Language Pathologist (SLP)は会話コミュニケーション、Resource Specialist Program (RSP)は読み書きなどの学習」を教えると、なんとも大雑把な区分をしました。しかし、この表現には少し語弊があるので、追記させてください。たしかに、一昔前までSLPの役割は話し言葉に限られていて、読み書きなどとは一切縁のない世界でした。しかし、多くの研究により、ただ単に言葉をキレイに発音するという以外に、単語の中の音を切り離したり(”hill”を”h”と”ill”に分ける)、韻をふんだり(”hat,cat,mat”)する「言葉の音やパターンを自由自在に操る」ということが、のちの読む力につながるということがわかってきました。このように、音を操る力をphonemic awarenessと呼んでいます。近年では、読む力を育む目的で、こういった「音遊び」をスピーチセラピーにも求められるようになって来ました。というのも、やはり、発音が上手にできない子は、「音に対する感覚が弱い→音遊びが苦手→読むのが苦手」というパターンに陥りがちで、発音の力が根源にあるため、スピーチセラピーとは切っても切り離せないなのです。第4回では、”shark”を「どーぁ」と発音した、シリーズ音が言えない男の子のお話をしました。彼とも、今、この音遊びの特訓中(笑)です。

 

  (第5回)「言語重視」から「コミュニケーション重視」へ
 

 第5回では、本を通してLanguageレッスンを紹介しました。しかし、学校は勉強の場であるほか、社交の場でもあります。教室といった環境では集団行動がつきもので、そんな中で子供は知らず知らずのうちに社交マナーを身に付けて行きます。しかし中には、授業にはついてゆけても、同級生とうまく友達になれない生徒もいます。特に高機能自閉症やアスペルガー症候群の生徒は、言葉は不自由しないけれど、他人とのかかわりが苦手で、目をそらしがち、声や顔に表情がない、話題がズレてる、冗談が通じない・・・などといった理由で、周りの子供達の目には「変わったヤツ」という風に写りがちです。このような生徒は、休み時間や昼休みなどに、行き場に困ったかのように校庭のはしっこを独りでウロウロしている姿をよく見かけます。

 自分だけで友達の輪に飛び込むのが苦手な彼らが、少しでも同級生と交流しやすい場を設けたいという思いで、”Friendship Club” を始めました。まぁ言ってしまえば、ただの「お遊び倶楽部」です。週に1度、お昼休みに同級生を誘ってゲームをして、お菓子を貰っちゃおう・・・といういたって単純なコンセプト。しかし、独りで過ごす30分間に比べ、彼らにとっては貴重な友達との遊び時間(であってほしいと願う主催者)なのです。

 ほんの30分間だけですが、時間がたつにつれ、今まで自分から他の生徒に声をかけようとしなかった生徒が、他の生徒の間違いを指摘したり、これまで自分の思うとおりにコトが進まないと気がすまなかった生徒が、一歩下がって相手に立場を譲ったり、などといった光景が見られるようになってきました。

 

  (第7回)言葉は常に変わり行くもの
 

 日本を離れて暮らしている言語オタクの私にとって、日本語のカタカナ語の氾濫は非常に気になります。日本語の持つ特有の美しさを保って欲しいと願うのですが、カタカナ語は増えるばかりです。「最近の日本ったら・・・」とボヤいていて、ふと気づいたのですが、この「にっくき英語化現象」は、実はアメリカ在住者のスペイン語にも見られるんです。例えば、

「自転車」bicicleta(ビシクレタ)→ baika(バイカ)(英語の”bike”から)

「昼食」almuerzo(アルムエルソ)→ lonche(ロンチェ)(英語の”lunch”から)

「つかむ」agarrar(アガラール)→ cachear(カチェアール)(英語の”catch”から)

 第7回で、多重言語の環境に育つ子供は、いっぺんにいくつもの言葉を聞くと混乱する可能性がある・・・と書きましたが、その混乱そのもののような言葉が、もはや、スペイン語x英語のフュージョン(これもそろそろ日本で通じるか?「融合」の意)という形で、方言として定着しているのです。いやはや、恐るべし、英語の影響力!ちなみに、これはどうもメキシコ人の方言だそうで、他のラテン系の人に聞くと、みんな、「それはメキシコよね〜」とちょっと呆れたように言います。おそらく、彼らも自分らの言語を誇りに思い、本来のスペイン語を守りたいとう気持ちが強いのでしょうね。

 

  (第1回)そして最後に
 

 第1回では、私がSpeech Language Pathologistという仕事に就くことになったきっかけについてお話しました。初対面で、「スピーチセラピストって??」と聞かれて、ひとしきり、こんな仕事をしています!と話をすると、話のしまいには、多くの方から「やりがいのある仕事ね」という言葉をいただきます。普段は、「よし!」という日と、「あちゃ〜」という日の繰り返しで、「明日はどっちだ?」というスリルを楽しんでいるような仕事ですが、実際には、子供らの必死な姿と、彼らがたま〜に覗かせる進歩の証を見ることに、救われ、原動力を貰っているように思えます。それを、まさに「やりがい」と言うのではないでしょうか。

最後に、

この道に進むきっかけとなった留学を勧めてくれた両親に感謝し、
同様に、「ジジババ好き」の原因となった祖父母に感謝し、
皆様に自分の話をお伝えできる機会に恵まれたことに感謝し、
ここまで読んでくださった方々に心から感謝し、

連載を終了とさせていただきたいと思います。長い間、ありがとうございました。

 

 
2006/9/15

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