【Fami Mail】 特別寄稿連載  
 
ケンブリッジ大学留学記
英語嫌いのケンブリッジ留学
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ケンブリッジ大学Engineering Department
Master of Scienceコース
「STOOP」
著者HP>1,2,3でTOEFL脱出イギリス行
 第七回 イギリスの年末年始に思う

 2005年が始まりました。日本にいる友人や仲間から、年末年始は最大でも4日間だった、なんて話を聞くと、改めてイギリスとの時間の流れの差を感じずにはいられません。この差は何に起因しているのか? もし、その原因がわかったとして、いずれも自国に「あって」いるので問題ないのか? ただ、明白なのは、4日間の休暇は短すぎると感じている日本人が少なからずいるということでしょう。

■スマトラ島沖地震

 昨年末のスマトラ沖地震による大津波は未曾有の大災害そして多くの悲劇を引き起こしました。インド、スリランカ、タイ、マレーシアなど、沿岸諸国の学生が、年末年始を終えて無事に戻ってくることに安堵しながらも、テレビ画面や記事、そして専門家による報告などを通して、自然の脅威を痛感し、改めてシビルエンジニアとしての役割を考える毎日です。命を落とされた全ての方に哀悼の意を表し、被害に遭われた方々のご快復をお祈り申し上げる次第です。

 阪神淡路大震災では、自分の中学高校が西宮市にあったこともあり、近しい関係にあった人々が被害に遭うという状況に直面し、その後、彼らから自身の人生に大きな影響を与えたという話を多く聞きました。一方、当時の耐震基準を作り上げてきた学者や技術者が、インフラの壊滅(構造物にとどまらず、ライフライン、そして震災後の渋滞発生などを含めた全てのインフラの機能損失)を防げなかったことに、本当にショックを受け、責任を感じているのも目の当たりにしました。

 当時学生だった私も、最初は正直傍観者のような気持ちもあったのですが、友人達の言葉を聞くにつれ、そして教授陣をはじめとする周囲の研究者たちの姿勢を肌で感じ、そして何より慣れ親しんだ土地の変わり果てた様を目の当たりにし、エンジニアは何をすべきなのか、何か自分でもできることがあるんじゃないか?ということを自問そして自分なりに自答しました。その答えが今も完全に出たわけではないですが、「こんなもんでいいんじゃないか?」という気持ちが出たときには、その時の気持ちを思い出すようにしています。今回の大津波は、その時の気持ちを改めて思い出させる出来事になりました。

 だからといって偉そうなことが言えるわけではないのですが、年上を含めて周囲の技術者にどれだけそういった使命感があるのか?ということに、疑問を感じることが多いのが少し残念です。

 ある知り合いが、ここケンブリッジで地震を主に研究しているイギリス人学生に、「どうして地震のない国なのに地震の研究者になろうと思ったのか?」と聞いたところ、「クールだから」という答えが返ってきたそうです。もちろん、彼が本当の志望動機をティータイムの軽い会話で出すわけはないかもしれませんが、被災者の方が聞けば、そんな覚悟でやってくれるな、あるいは少なくともそういう回答はしてくれるな、と怒りを感じずにはいられないのではないのでしょうか。

 津波(Tsunami)というのは、マスコミでもよく取り上げられていたそうですが、数少ない日本語発の英語だそうです。着物(Kimono)といったような日本文化を表す日本発の英単語は多くとも、世界に広く共通するものの中では、津波以外ではカラオケ(Karaoke)とあと少しぐらいしかないそうです。将来、津波被害(あるいは他の自然災害)を効果的に防ぐ「何か」を開発し、それを次なる日本発の英語にしてやろう、ぐらいの気概をもって研究に取り組まねばいけない、或いはそういった気持ちを周囲に伝えられるような存在にならねば、そう思った年末年始でした。

■イギリスのクリスマス

 さて、今年の年末から元旦にかけてはケンブリッジで過ごしました。イギリスのケンブリッジなんかでクリスマスを、なんて聞くと、渡航前の自分を含め多くの人々は「どれぐらい盛り上がって素敵なんだろう」なんて思うかもしれません。

 しかし、予想に反し、クリスマス時期、特にイブの24日からボクシングデイと呼ばれる26日までは、街はすっかり静かになって、盛り上がりどころか、閑散としています。出歩く人もまばらなうえに、バスさえ走っていないので、盛り上がりようもありません。鉄道駅も営業しているのかどうか確認はしませんでしたが、なんと扉がしまっている始末。ケンブリッジ駅に扉があることを初めて知りました。スーパーもレストランも営業しませんし、開いているのは、わずかにアラブ系やインド系などの小さな食品店ぐらい。

 ちなみに、ボクシングデイの由来は諸説あるようですが、クリスマスボックスと呼ばれる募金箱を教会で開ける日がこの日に当たるから、というのが個人的にはもっともらしい気がしました。興味ある人は調べてみてください。

 もちろんクリスマス商戦はイギリスでもあるので、11月も半ばを過ぎると特にロンドンなどでは活気付いてきます。こちらではプレゼント交換というのが大事なイベントらしく、家族一人一人がその他家族全員分を用意するので、とてつもない数のプレゼントになるんだとか。各家庭によって風習も違うのでしょうが、この時期にはやたら袋をぶらさげている人を見かけたので、結構多くの家がそういった風習に従っているのでしょう。

 この時期はスーパーの品揃えもガラリと変わります。まるごとのターキーやシャンパン、ミンスパイにクリスマスプディングといったものが並びます。イギリスの伝統的なクリスマスのスイーツが、このクリスマス・プディングとミンスパイなんですが、どちらのデザートもレーズンなど数種類のドライフルーツを使った「甘ったるい」お菓子なのです。イギリス人家庭の手作りを食べたわけではないのですが、おそらく日本人の口には合わないと思います。

 ある新聞記事では、「イギリスの伝統的なクリスマスの食事も、いまや原材料はすべて輸入品」なんて書かれてありました。日本の「おせち」は、そこまでではないとは思いますが、そうなったら少し悲しいですね。

■キングス・カレッジのキャロル

 閑散としていると言いながらも、ここケンブリッジは、クリスマスに実は全イギリス或いはそれを越えて注目されることも事実です。

 それは、ケンブリッジのキングス・カレッジで行われる少年聖歌隊のキャロルのことを指しているですが、これはつとに有名で、毎年、BBCラジオで放送されています。クリスマスにおける教会のキャロルそのものは、どこでも行われるものなのですが、このキングス・カレッジのはその模範となるような存在なんだそうです。

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 今でも聖歌隊が続いているのはキングスカレッジの創始者ヘンリー六世のおかげなんだとか。ちなみに、聖歌隊の音楽は、CDでも発売されているので、興味ある人は購入してみてはいかがでしょうか?

 今年は、ウチでも行ってみようか、なんて話になりましたが、朝から並ばなくてはいけない、子供がいて騒ぎ出したら大変、といった理由もあったのですが、最終的には、キリスト教徒でもないのにやめておこう、という理由で聞きに行くことはやめておきました。

■メリー・クリスマスが言えなくて

 クリスマスも近づいた23日、研究室はわずか4人ほどしか来ていませんでした。その中に帰国の近いイラン人研究者がいたので、帰り際に、「クリスマスの3日間はどうするの?」と聞いてみました。「研究の総まとめもしないといけないし、たぶん研究室に来るよ。」との答えだったので、「クリスマスもワークだなんて、ちょっと寂しいクリスマスだね。」と言ったところ、(ご想像のとおりでしょうが)「別にイランにいたらクリスマスなんて祝わないし、どうってことないよ。」との答え。しまった、またもや軽率だったなぁ、と。

 日本のクリスマスは完全にイベント化してしまって、そもそもキリスト教の文化だ、なんて意識は、多くのキリスト教を信仰していない日本人にとっては、意識の片隅にあるかないか、ぐらいではないでしょうか(例外もいらっしゃるとは思いますが)。自分も、キャロルを聴きに行くのにはブレーキがかかったとはいえ、それ以外では完全にどっぷりとクリスマスのイベント化に浸かっている身なので、家に小さなクリスマスツリーを飾ったり、ケーキを作ったり、といったイベントは当たり前のように感じている状態です。それゆえ、寂しいクリスマスだね、なんて発言になってしまうのですが(彼の家族がイランに先に戻っていることも考慮しての発言だったのですが)、ちょっと反省した次第です。相手の受け取り方次第では、かなり失礼なことになりかねません。

 今年の紅白歌合戦のビデオを妻の実家から送ってもらったのですが、さだまさしの歌を聴いていて、そのことをまた思い出しました。なんでもあの歌は、アメリカ文化の影響を大きく受け、日本の商業化してしまったクリスマスを皮肉ったらしい(違ったらごめんなさい)歌なんだそうですが、あれをもしキリスト教以外の人(例えばムスリムの人達)が聴いたら、そうは受け取れない、すなわち、すぐには曲の深い意味が理解できるわけはないので、単にメリークリスマスと叫んでいる歌手と受け取るか、あるいは深読みしたところで家庭の平和な雰囲気の比喩として歌っているぐらいに捉えて、間違った反感を抱きかねないように思われます。

 ドメスティックな番組とはいえ、日本の一年を締めくくる重要な番組なわけですから、そういった配慮もあった方がいいのではないでしょうか?それに、もし、そのような主義や主張などが強く入ったメッセージソングを放送し、象徴的な意味として「メリークリスマス」といった言葉を使うのであれば、前半でのんきに後藤真希&松浦亜弥に「メリークリスマス」なんてタイトルの入った歌を歌わせるべきではないでしょう、と言いたくなります。ちょっと過剰な反応でしょうか?ミスター・ビーンこと、ローワン・アトキンソンは、宗教に対する諷刺にまで法が及ぶのは良くない、といった趣旨のコメントを最近していましたが、意図的な諷刺どころか相手に誤解を招かせるような行為であっても、しない方がいいのではないかと思ってしまいます。

 一方、矛盾するかもしれませんが、このクリスマスを楽しんでしまう日本人、については、ご批判も多くあるでしょうが、少し古い言葉でいえば「あり」なんではないかと思っています。多くの日本人が神仏習合思想を長く続けてきた背景と関連して、異文化を日本的に楽しんでいるだけ、と捉えられるのではないかと思っているからです。逆にキリスト教を意識して楽しんでいるのであれば、それは問題だと思いますが、多くの人々にそういった意識はなさそうです。

 ちなみに、どうやら香港の若い世代にも同じような雰囲気(クリスマスにはカップルで過ごすといったことなど)があるようです。ただ、キリスト教の人口は日本よりも多いそうなので、きっと批判している人の数も多いことでしょう。そして、台湾や香港など、宗教や文化に関して、ある程度日本と似たような傾向を持つ国以外、或いは、国内であっても外国からいらっしゃった方々の多くには、この考え方は批判どころかまったく理解されないと思います。つまり、自分も含め各自が真剣に考えていかなければならないテーマであることには違いないと言えるでしょう。

■ハッピー・ニュー・イヤー

 お正月気分を味わえないのは、やはり海外にいる寂しさです。ヨーロッパはやはりクリスマスが盛り上がるので、新年はそうでもない、と聞いていたのですが、BBCの放送を見ていると、ロンドン・アイ(観覧車)付近のテムズ川界隈で、ドドンパ(死語?)と花火が打ち上げられている様子が中継されていました。そして、人手の多いこと多いこと。スコットランドでは、クリスマスよりも新年の方をむしろ盛大にお祝いすると聞いていたので、ロンドンのスコットランド人が騒いでいるだけなのかもしれません。

 そして、意外でしたが、花火ってのは、新年だけでなく、イギリスにいても何度か経験しているのです。日本のように夏の風物詩ではなく、ちょっとしたお祭り騒ぎのようなとき(試験が終わる、新学期が始まる、などなど)に、学生たちが打ち上げているのも目にしましたが、一番有名なのは花火イベントとして成り立っているガイフォークスナイトです。

 11月5日に行われる、この花火イベントは、なんでも、熱心なカトリック信者であったガイフォークスが国会議事堂爆破とともにジェームズ一世の暗殺を企てた(失敗に終わった)ことに由来しているそうですが、いまだに「なんでそれがイベントになるわけ?」と思ってしまいます。ちなみに、イギリスではハロウィンはさほど盛り上がらず、このガイフォークスナイトの方がエキサイトするようです。

 さて、新年話ですが、イギリス人は、新年は意外と早めに働き始めます。4日からなんてのも別に不思議でありません。ただ、クリスマス前からずっと休暇を取っているので、少なくとも2週間ぐらいは休んでいると思います。バカンスを挟む人に至っては、1ヶ月なんてのもザラで、その時間の流れのゆっくりさには驚くばかりです。「ゆとり」というのでしょうか?

 日本でも、時短、フレックス、なんて言葉が流行った時代が過ぎ、次段階に来ているはずが、なんだか頭打ちになっているような、どうも「ゆとり」のある社会生活には至っていないような、そんな印象を受けます。何年か前に成人の日を月曜にするといったようなハッピーマンデーの議論が行われていた時も、そんなことより土曜と祝日が重なった場合も振替休日を作ることから始めてくれよ、と思ったものです。

 むやみに祝祭日を増やすことが「ゆとり」につながるわけではないでしょうが、古来の伝統行事や古くからの習慣を「家」で経験させるうえでも、意味のはっきりしない祝日を作るぐらいなら、夏至や冬至といった節気などと絡めて祝祭日を設置するなんてのも一考の価値があるのではないでしょうか?

2005年1月17日

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つづく

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