スピーチセラピスト (カリフォルニア在住13年)
鑓溝(やりみぞ)純子

第6回 カルチャーショック

 

 

ここカリフォルニア州、特に私の住むベイエリアと呼ばれるサンフランシスコ周辺の地域は、アメリカ国内でも特にdiversity(多様性)に富んでいて、それを誇りとしています。身近な例でいえば、今、一緒に仕事をしている教室のスタッフは、担任の先生がインド人、アシスタントが黒人と中国人の男性と白人の若いお姉さんの3人というインターナショナル・チームです。また、友人と食事をしようと集まれば、エチオピア料理にしようか、マレーシア料理にしようか、メキシコ料理にしようか・・・と悩むわけです。遠くまで行かずして、様々な食や言語や文化や価値観にめぐり合えるという、とても恵まれた環境なのです。民族的な違いに限らず、「強烈に個性的」な人々も多いため、あごひげをたくわえてスカートを履いた人を見ても、まぶたや舌、鼻やあごなどに無数のピアスをつけている人を見ても、驚かなくなりました。

それでも時々、カルチャーショックというのはあります。このSLPの仕事を始めて、それまで縁のなかったコミュニティーと関わるようになって受けた、思い出深いカルチャーショックもいくつかあります。しかし、仕事にまつわるこういった経験は、「わぁ!」と単純に驚いて楽しめるカルチャーショックの他に、本来の意味での「ショック」に近いものも多くありました。それは、厳しい環境で暮らす子供たちの日常を、垣間見る機会が増えたからです。

今回は、私が随分長いこと当たり前だと思っていた概念を覆されたエピソードをいくつかお話したいと思います。私が生徒たちと関わるにあたって、私一個人のスタンダードで話を進めてはいけないのだ・・・と常に思い出させてくれる体験です。

 

  一番初めのショック
 

これまで4つの小学校を受け持ちましたが、やはり1年目に経験したショックは、とても強く記憶に残っています。また、1年目に担当した学校が、一番治安の悪い地域にあったということもその原因と言えるでしょう。学校の目と鼻の先の所で、発砲事件があったりするような、そんな地域でした。

仕事を始めて間もなくの頃、受け持ちの幼稚園生を連れて私の教室に向かう途中、その子が屈託のない笑顔で、「今日、うちのお父さんが刑務所から出てくるんだ!」と言いました。まるで、朝ごはんは何を食べた、という話でもするかのように言うのです。そんなことを幼稚園児の口から聞くとは予期していなかった私は、絶句してしまいました。「よかったね。お父さん帰ってくるんだね。」・・・表面上のやりとりは、このようにサラリと流れてゆきましたが、この彼の一言で、私は、自分がいかに恵まれた環境で育ち、今、自分の隣りにいるこの小さな子供の置かれた環境が大きく私の知る子供時代と異なっていることを痛感しました。

 

  「一軒に一家族」の概念
 

今日の日本では、2世帯住宅もあまり珍しくなくなりました。自分の家はこっちで、おじいちゃんとおばあちゃんの家はあっち・・・というのがごく一般的ではないでしょうか。私が子供の頃でさえ、もう、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住んでいる子は、あまりいませんでした。一軒の家には、一家族が住んでいるのが当たり前だと、無意識のうちに決めつけていました。ところが、こちらでは、まだ2世帯、いえいえ3世帯が1つ屋根の下に暮らしているという場合がわりとあります。特にラテン系の家族には子沢山な家庭が多く、一軒のアパートに2家族10人が同居していると、ある生徒は教えてくれました。大所帯な分、家族間の絆も強いという印象を受けます。ともすれば、ご近所同士の絆もまだまだ深く、お互いの子供の世話を見て当たり前といった、近頃では偲ばれる一昔前の日本の近所づきあいのようなものが、まだこの辺りでは残っているのです。

 

  「ベッドルームで寝る」の概念
 

大所帯だと、やはり暮らし方の事情も異なってきます。1年生とボキャブラリーレッスンをしていたある日の発見。身の回りにある物の語彙を増やすため、そして言葉をカテゴリごとに分類するという練習のために生徒に課題を出しました。「さぁ、家の各部屋にあるものを言ってみよう。」キッチンは…バスルームは…と続き、「ベッドルームは寝る部屋だね。じゃぁ寝室にあるものを思いつくだけ、ぜーんぶ言ってごらん。」と問いかけると、ある生徒が、「ボク、ベッドで寝てないよ。」と言うのです。「ボクん家は、伯父さんたちがベッドルームのベッドで寝てるけど、僕はリビングのソファか、時々、床に寝袋で寝てるんだ。」ということなのだそうです。ベッドで寝るのが当たり前・・・という概念も、この一件でサヨナラしました。

 

  「電話は通じるもの」の概念
 

毎年、年度初めに、各生徒は緊急連絡カードというのを提出することが義務付けられています。我々教員が親と連絡を取る場合は、当然、その連絡カードに記入されている電話番号をあてにするわけです。さて、電話は手持ちの番号にかければ、「はい、もしもし」と通じるものですよね?・・・

この思い込みも見事に覆されました。多くの場合が、回線不通。呼び出し音が一回目で鳴ればラッキー。留守電があれば、伝言を残して達成感あり。そして、人が電話に出れば(保護者当人でなくても)バンバンザイ!といったところでした。電話は必ずしも通じるものではない・・・これも、早々に学習しました。しかし、子供にもし何かあったときは、どうするのでしょうね・・・?

逆に、教育熱心で、裕福な家庭の多い地域の学校を担当した年は、電話が通じないどころか、親の方から様子伺いの電話がかかり、それはそれで四苦八苦しました。これも一種のカルチャーギャップですね。

 

  「家族の名前」の概念
 

日本では、一般的には、「鑓溝一家」と言えば、父・鑓溝☆夫、母・鑓溝○子、兄・鑓溝◇也、姉・鑓溝△美・・・と、家族の名前に関して、あまりややこしいことはありませんね。ところが、私が最初に受け持った教え子たちは、おおむね保護者と名乗る人と違った苗字を持っていました。夫婦別姓で、子供は父親の苗字を受け継ぎ、両親離婚後は母親に引き取られ、その母親が再婚していたりすると、家族全員が別姓ということになります。兄弟で別姓の場合もあり、非常にややこしいものでした。

 

  「家族の名前」の概念 <その2>
 

子供のネーミングにも文化の違いが出て非常に面白いものです。新年度を迎えるたびに生徒の名簿に並ぶ名前を眺めては、どんな子かを想像してみたりします。名前には、ずいぶん楽しい発見が色々あります。

ラテンな名前の面白さは、書面では「ホセ・カンポス」君のはずが、実際に会ってみると「アントニオ・ゴメスです」なんて言われたりするのです。聞くに、本名は「ホセ・アントニオ・カンポス・ゴメス」だとか。ミドルネームをつける習慣と、夫婦の苗字を2つ繋げる習慣のあるラテン文化では、こういうことが少なからずあります。ともすると、ホセ君の父親もホセだったりして、また驚くわけです。西洋の文化では、息子が父親の名前を受け継ぎ、〜(父親の名前)Jr.と名乗るという習慣が昔からあるようですね。

日本でも、イマドキっ子には、「ありす」ちゃんや「りさ」ちゃんなど、洋風でおしゃれな名前を持つお子さんが少なくないですね。ところが我々日本人は、英名には慣れていても、あまりラテン名にはまだ馴染みがないのではないでしょうか。英語のGeorgeには違和感がないのに、そのスペイン語版のJorge「ホルヘ」と聞くと、なんとなく力の抜けてしまいそうな音の並びに、ついクスッと笑ってしまいます。また、Jesus「ヘスス」という名前を英語読みして聞いて、「ジーザス!?」と、たいがいの人は目を丸くします。実は、とってもポピュラーな名前なんですけどね。

また、ブラックな名前もなかなかユニークです。「Q」や「’」(アポストロフィ)が付くと「ブラックキッズに違いない!」と、私の中では法則が決まっています。ShaniquaやDe’Angeloなどがその例です。また、以前、Karea(カレアちゃん)という黒人の女の子を受け持ったとき、彼女の妹の名前がTaiwanちゃんだと聞いて、驚いたことがあります。どうやら、彼女のKareaも韓国を意味する”Korea”から来たのだと、その時初めて気付きました。「その名前はどこから来たの?」と聞くと、「お母さんが、聞こえが気に入ったんだって。」と、わりと単純な返事が返ってきました。

 

  バイリンガルはつきもの
 

このようなに、プチ・カルチャーショックを通して、私も、生徒らの生活環境を少しずつ理解できるようになりました。しかし、我々の本業は、子供の言語力を伸ばしてあげることです。カリフォルニアの誇るdiversityの避けられない側面として、子供を取り巻く言語環境の複雑さがあります。次回は、バイリンガルと言語障害の複雑な絡み具合についてお話をします。

 

2006/7/18

つづく
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