スピーチセラピスト (カリフォルニア在住13年)
鑓溝(やりみぞ)純子

第7回  バイリンガルと言葉の遅れ 〜障害か違いか?〜

 

 

ここ、カリフォルニア州には、世界中のあらゆる国から来た人々が住んでいます。2000年の国勢調査では、カリフォルニア人口の約40%が、英語以外の言語を家で話すと答えたそうです。これは、アメリカ全体の18%を大幅に上回ります。私の学校も、無論、例外ではありません。学校で、他の先生から、「○○の話し方がちょっと気になるのよ・・・」と相談を受けたとき、私は真っ先に、「その子の家では、何語を話してますか?」と質問します。その返事が「英語」ということは、あまりありません。スペイン語かベトナム語が多いようです。

ここでは敢えて「バイリンガル」と続けますが、3つ以上の言語に日頃から触れている子供もいるのです。私もこれまで、「広東語と北京語と英語」、「スペイン語とフランス語と英語」、「ベトナム語と英語と手話」などのマルチ・リンガルな環境で育つ子供たちと出会いました。


 Difference vs. Disorder 〜「違い」と「障害」の区別〜
 

バイリンガルの生徒の言語障害を疑う場合、まずは、その子の言葉の遅れが、disorder(障害)であるか、それともlanguage difference(言語の違い)であるか区別をする必要があります。Language differenceとは、状況・背景・環境的な理由で、いわゆるアメリカの標準英語とは異なっているものの、特に問題視されない言葉遣いの違いのことを意味します。

スピーチセラピーの対象は、「セラピー」という名のとおり、言語習得に「障害」があるとみなされる子供たちです。たとえコミュニケーションに多少の困難があっても、その原因が、子供を取り巻く環境にあると思われる場合は「違い」と見なされ、セラピーの対象にはなりません。

例えば、アメリカに来たばかりで、英語がつたないという場合。これは、英語に触れている時間が少ないので、標準英語が話せなくて当然です。ですから、この場合は「障害」ではなく「違い」と見なされます。

コミュニティー特有の方言も、また、「違い」です。例えば、黒人独特の英語(African American English/AAE)は、学校で習う英語とはずいぶん文法が異なります。“He be playin’ by hisself”という文章は、標準英語の“He is playing by himself”と比較すると、間違いだらけに聞こえます。しかし、これはブラック・コミュニティー内ではよくある言い回しで、標準英語と比べたときの「違い」に過ぎないのです。もちろん、セラピーの対象にはなりません。むしろ、「直さなければ!」とセラピーを求めるほうが、失礼にあたるわけです。それどころか、セラピーをすること自体が違法です。大阪出身の人に対して、標準語セラピーを強制するようなものですから!

 

「じゃあ、この子の遅れは、違いと障害のどっちなの?」・・・と聞かれたら
 

あいにく、すぐには回答できません・・・。

原則として、言語障害が疑われる場合、その子供が日頃から触れているすべての言語の検査をしなくてはなりません。例えば、日本語を話すご家庭のお子さんであれば、日本語と英語というふうにです。検査の結果、バイリンガルであること以外に言語発達の遅れの原因となるような環境的要因がないのに、日本語と英語の両方に極端な遅れが見られる場合、言語障害があると見なされます。一方、日本語は年相応のレベルなのに、英語だけが遅れていると診断された場合、英語の遅れは、「違い」ということになります。

しかし実際に、どこまでを「違い」と呼び、どこから「障害」と呼ぶのかを見極めることは、特に私の働く環境では難しいのです。なぜなら、私の生徒らは、おおよそ不利な環境の下で暮らしているからです。彼らの生活環境の厳しさについては、前回も触れましたが、言語環境についても同じことが言えます。子供の言語力を育む親が、全く英語を話さなかったり、4年生までの教育しか受けていなかったり、仕事を掛け持ちしていて子供と過ごす時間が限られていたり・・・ということがよくあります。このようなお手本の乏しい言語環境では、いくら子供の学習能力に問題がなくても、その子のコミュニケーション力は上達しません。

もし、親がもう少し英語を話せて宿題を手伝ってあげられたら?もし、高校までの教育を受けていたら?もし、もう少し子供と一緒に本でも読める時間があったら?もう少し、好条件が揃っていたら、この子の言語力も、もっと伸びていたのでは・・・??と、誰にも答えようのない疑問が残るのです。

 

 言葉の遅い子のバイリンガル教育 〜混乱を避けるべし〜
 

障害と呼ぼうが呼ぶまいが、言葉を覚えるのが苦手な子供に、2ヶ国語をいっぺんに覚えさせようとすると、混乱を招くばかりでどちらの言葉も伸びなくなってしまうおそれがあります。「バイリンガルな環境」と言うとてもステキな響きとは裏腹に、「バイリンガル」どころか、「モノリンガル」(monolingual=単一言語)でもなく、どの言語も中途半端にしか使えない「ノン・リンガル」(non-lingual=無言語)になりかねないのです。

このような場合、こちらに移住して生活しているご家族には、1つの言語、つまり英語に的をしぼることをオススメしています。しかし、特に海外赴任中の場合など、そう簡単に1つの言語だけに切り替えるというのは難しいはずです。現地校では当然、現地の言葉を使うので、日本語だけというわけにはいかないし、やがて日本に帰るから、日本語を放り出すわけにもいかないし。このような場合は、とにかく、2つの言語を混乱させないよう、しっかり区別することが大切です。例えば、

1)場所で区別 (学校で英語、家で日本語。)

2)人で区別 (お父さんと英語、お母さんと日本語。または、親と日本語、兄弟と英語。)

3)時間で区別 (朝は英語、午後は日本語。または、宿題中だけ英語で、あとは日本語。)

4)曜日で区別 (平日は英語、週末は日本語。)など。

こうすることで、子供の脳の言葉の引き出しの整理整頓がしやすくなるのです。もう随分前のことですが、当時お世話になっていた日系医院の受付に、在米30年のおばさんがいました。そのおばさんの娘さんが、ある日、男の子のような超短髪になって家に戻ってきたのだそうです。そのときのことを思い出して、おばさんは、「それはもう、私は、フューリアスリーマッドだったのよ!」(furiously mad=カンカンに怒った)と仰いました。それまで日本語モードで聞いていた私は、一瞬、「あれ??」と戸惑わずにはいられませんでした。大人をも混乱させるこのような話し方は、子供に対するよいお手本とは言えません。子供は、なんでも大人の真似をして覚えます。日頃から、わかりやすいお手本を心がけたいものです。

 

  次回で最終回
 

この連載も、次回がいよいよ最終回となりました。もう1エピソード、どうぞ、お付き合いよろしくお願いいたします。

 

2006/8/17

つづく
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