第5回 ボランティアと寄付

早いものでもう2月の半ば。2008年の8分の1の月日が過ぎてしまいました。
この間クリスマスをやったばかりなのに、1年ってあっという間ですね。この1年の長さの感じ方、法則があるのをご存知ですか? その法則とは、1歳の赤ちゃんにとって1年は1/1。というものです。つまりあなたが28歳なら、1年は1/28。50歳なら1/50。というように、歳とともに1年がどんどん短く感じるようになるそうです。あっという間よりも短い表現、何かないでしょうか?

 今日はボランティアと寄付について考えてみたいと思います。
 こちらに越してすぐの頃、夏休みの前に子供が学校からの手紙を持ち帰りました。夏休み中に教室の改装をするというのです。手紙には、改装をしなくてはならない理由、期間(3日間)、時間(9時〜4時)、などが書かれていました。そして、子供たちの為に、助けが必要です。助けて下さる方は、上記の日時に、工具(ハンマー、のこぎり、ペンキの刷毛、ドライバー、ペンチ、カッター等)、また掃除道具などをお持ちになり集まって下さい。雑巾やタオルペーパー、ボランティアたちの飲み物の寄付も受け付けます。大文字で、助けが必要です。と結ばれていました。そうは言っても、英語圏の人たちの中に飛び込む勇気もなく、そっと見学に行って見ますと、平日にも係わらず沢山のお父さんお母さんが集まっています。そしてなんと、本職の大工さんの手伝いをするのかと思いきや、そうではなくて、お父さんたちによる教室の改装が行われているではありませんか! 広い教室に間仕切りを作り、防音材を張り、ペンキを塗り、棚を造りと本格的です。お母さんたちは、お父さんに工具を渡したり、セメントを練ったりして手伝っています。少し離れたところにはテーブルが置かれ、スナックやおにぎり、ジュースなども並んでいます。子供たちも走り回り、ピクニック気分です。皆に簡単な挨拶をして帰っていく家族連れ。と入れ替わりに騒ぎながら集まってくる親子。いろいろな人達が勝手に参加して、勝手に楽しんで、笑い声の飛び交う中、力を合わせています。それは本当に自然で、ハンマーの音さえ聞こえなければ、唯のガーデンパーティーとしか思えないほどでした。
 その光景を見て、ボランティアという言葉に、畏まった敷居の高さを感じていた私の観念が吹っ飛びました。そう、ボランティアは自己満足で良いのです。でもその自己満足というのは、人の為に何かをする。という犠牲的なものでなく、自分が楽しめばOKという自己満足なのです。



もっともっとの要求

一生分の名前シール

一日に届く寄付依頼メール
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 早速夏休み明けに、学校のボランティアを始めることにしました。給食時間の食堂での子供たちの監視と、1ヶ月に一度のPTA会報の日本語への翻訳です。余談になりますが、こちらの学校にはSREPクラスといって、英語を母国語としない子供たちへの特別授業があります。当然、来たばかりの子は数年間お世話になるわけですが、そのクラスの日本人保護者の方に、日本語版のPTA会報を渡してもらおうと思ったのです。
 週2回の給食監視は、私の子供たちの学校での様子を垣間見れる上、GoodとNoの言葉だけで何とかなりそうですし、時間も2時間ほどで済みます。会報紙の方も、学校からのお知らせが多く、あまり長い文がないので、辞書を片手に自分の勉強になると考えたのです。結果、どちらもとても楽しませてもらいました。アメリカ人の子供達には大人以上に私の英語は通じず、それでも皆笑顔で接してくれ、会報の方は最後の号に、色々なボランティアをしていた父兄への感謝の言葉と共に、名前を載せて頂きました。



寄付金額指定のタブ

年に何回もある
アニュアルフォンド
返信用封筒

 逆に今日までずっと不思議に思っていることが寄付をするという行為。まず学校関連では、ファンドレイザーといって、チキンやチリの引き換え券を売り、学校に寄付をするのがあります。学校の予算は毎年足りないようで、生徒一人最低5枚は売らなくてはなりません。売れなかった場合でも、同額を要求されます。
その他にも、ダイレクトメールでは、ユニセフ、赤十字はもちろん、病気調査学会、教会の養護施設、貧しい人への食事、発展途上国への援助、乳がん調査、口唇裂の子供協会、動物愛護、殉職した警察官の家族、戦争から帰った兵士の歓迎会など等に至るまで,毎日毎日手紙の山。 
 最初の頃は、名前を知っているいくつかの協会に寄付していたのですが、どうも横のつながりがあるらしく、全米多種協会から、寄付依頼の手紙が届くようになりました。というのは、私の名前には、ミドルネームはないのですが、どこかでO.のミドルが入ったらしく、Ms.Keiko O,+++++の封書がやたら多いのです。それだけではありません。一度少額を寄付しただけなのに、年に何回も私のネームシールを入れて、追加を要求してきます。中には御礼の手紙と共に、もっとお金が必要です。という手紙を送ってきたり、酷いのになると、グリーティングカードや5セントコイン、1ドル札を入れてくるところも、、、。
 寄付というのは要求されてするものではないと思うのですが、「もっともっと」とお金をせがまれるのです。でも、収支決算を送ってくるところは皆無です。
 私の送った寄付金は、いったい何に使われているのでしょうか? 皆さんはどう思われますか?
  現在私は、ほんの数協会にしか寄付をしません。私の寄付をする条件は、年に何回も寄付を要求してこない。受け取り側が金額を決めていない。そしてネームシールを同封していない。の三つです。なんたって、ネームシールは一生かかっても使い切れないぐらい溜まっているのですから。
 人の役にたつというコンセプトは同じはずのボランティアと寄付。どうせするなら、自分が納得して楽しめなければいけませんよね。

 

2008/2/15
つづく

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