私はこの2年余りの間に5回、転勤しました。その都度役所へ行って転出、転入届けをしました。面倒くさいなと思いつつも、日常の些事の方がよっぽどやっかいです。役所にちょっと足を運ぶことなど大したことではありません。転入のときには自治体ごとに違うゴミ出しの方法を聞かないといけないし、「便利帳」のようなものも、もらってこないといけません。
今回の住基ネット開始に際し政府から、電子化すれば届け出の手間が省ける、「国民の利便性を図った」と言われても、正直、そこまでしてもらわくてもいいのにと思ってしまいます。それがリスクを伴うのであればなおさらです。
どななたかメールで、戦後の「偏向教育」まで持ち出して政府の擁護をなさっていましたが、ことはそんな思想上のことではありません。この方の指摘はそれこそ、たとえは悪いですが、「みそくそ一緒」というやつです。ことの経過、事実を見極めないと議論
にはなりません。
戦後民主主義を嘆くのは個人の勝手ですが、そんな小難しい ことではなくて、私の知らないうちに、私の情報を集めて勝手に使わないでもらいたい、といことです。しかも、こんどの住基ネットは、自民党でさえ「ちょっとやり過ぎたな、拙速だった」という思いがあります。だから、小渕さんは、実施するうえで、「個人情報保護法」というのを、先に作らないとやりませんから、みなさんご理解をと国会で再三答弁していました。それは法律にも盛り込まれています。
こんな色分けは冷戦崩壊以降は無意味かもしれませんが、あえて旧式にいれば、保守陣営の論客である桜井よしこさんが、今回の住基ネットで政府・官僚批判の急先鋒です。反対する自民の顔ぶれをみても、タカだハトだなんてことは関係ありません。
中川昭一氏や亀井さんらも大反対です。「偏向教育」まで持ち出して批判するのは、大いなる勘違いか何らかの意図があるとしか思えません。
直近の首相の答弁を平気で無視し、法律違反までして開き直るような政府をいったいだれが信用できますか。国民の生活を豊かに、安定にするはずの「財政」が、外国からは日本の信用悪化の元凶とみられ、日本の不安定要因の最たるものになっている現状をみても、もっと我々は「物言う国民」にならないといけません。
国から番号をもらいたい人はそうすればいいのです。しかし、 個人の日の丸観まで持ち出して、住基ネット反対者を批判するのやめてもらいたいものです。
個人の情報を集めているよその国でも、国民の側から情報の開示や訂正を求める権利は認めているのが普通です。ところが、日本では官僚は過ちを犯さない、という前提があるようで(というよりも、自分たちが作ったから)、自分の使い勝手だけを考えて法律を作
っています。いい加減にしろ、です。
もう一点。これを言うと、住基ネット反対と戦後の偏向教育をからめて論じた方は、やっぱりお前も偏向している、とおっしゃるかもしれませんが、事実なので、やっぱり指摘おきます。住基ネットのリポートをまとめた海野さんも触れていましたが、この住基ネット法ができるときに、連立与党にいた小沢一郎さんは、
「(この法律を)有事のために利用しないでどうする」と、経済団体首脳との懇談で公言しています。
ことは、住民票うんぬんかんぬんではありません。
情報収集というのは、使う側の欲望を考えると際限がなくなります。すでに、政府が新法も準備し300近い事務に利用するつもりでいることを見ればわかります。財務省は納税にもリンクさせたい考えです。いずれ住基カードは常時所持する「国内パスポート」のような役割も担うようになるでしょう。
こうしたことを私は国民の義務として甘受するつもりはありません。
国の強さは国民の信頼があってこそです。いま政府のやっている施策に目をつぶって、ついて行くという人は、よほどおめで たい人だと私は思います。時代認識が欠如しています。愛する、愛される国をつくるために、これまで「物言わぬ国民」として政策を黙認してきた我々は意見を表明しないといけません。住基ネット反対運動もこの脈絡のなかにあります。
重ねて申し上げますが、これを冷戦期に逆戻りしたようなイデオロギー対立に持ち込むのは誤りです。今はそんな認識に捕らわれて、ことを判断する時代ではありません。
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